ネット上の「欲しい情報」と「必要な情報」

 

本名でかどうかは別にして、いや公開することを認識してるかは別にして、私達がネット上に公開している情報があります。

 

SNSの登場で様々なサービスが見えないところで連携されており、そのどれかの一端が拡散の流れにのり、自分の書き込んだテキストや画像、音声、動画が自分の意図しないところで出会ったり。

 

ネット上のかきこみというのは、自分が誰かに伝えたいことや、読んでほしいことなのですが、かならず意見の違う人がいるわけで、その文章のとんがり方や見え方などのあいまいな要因で、鋭い攻撃や圧力を受けたりすることがあります。

 

 

また,その流れやつながり方や時系は複雑なので、その情報を完全にネット上から削除することはできず、何処かに残ってしまったり,誰かの手によって残されたりすることがあったりもします。

 

そんな,逃亡や攻撃のやりとりの風景を野次馬な心でみもていると,不思議と「知って良かった」とか思ったりします。

 

なんとなく,私たちの「欲しい情報」というのは,「正しい情報」かどうかはわからないけれども本当の意味で得した気分に相当する「必要でお得な情報」だったのか。

 

などと,人気エントリーのタイトルリンクを踏んで「記事が削除されています。」の表示をみながらふと考えてみたりしました。

 

元々インターネットは,蜘蛛の巣のようにたくさんの動線で情報がつながる「ハイパーリンク」の素晴らしさでこれだけ普及してきたわけで。

 

放射能や原発はこれからなくななることはない。なぜなら,人類はこれまで一度も文明や発明を捨てたことがない。といってた人がいたけど。

 

これからもネット上でいろんな情報が流れつづけるんだと思いました。


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